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行ってきました⑧ シャトー・ド・プラド

シャトー・ド・プラドはコート・ド・カスティヨン地区の中で最も古いビオワイン生産者。
親子3代に渡ってビオロジックを実践しています。

シャトーに着くと、現当主のベルナールがニコニコと出迎えてくれました。
この人、絶対おいしいものをたくさん知ってる!、一緒にご飯食べたら絶対おいしいものが食べられる!と思わせてくれる恰幅の良さ。ベルナールのおいちゃん!と呼びたくなります。(外は何せ灼熱だったもので、しかめ面なのはご愛嬌)

料理がめちゃめちゃ上手そう。それもそのはず(と言っていいのか分かりませんが…)、パンや小麦、米以外の食料はほぼ自分のところで賄っているそうです。肉も野菜も!果物もナッツも!ヘーゼルナッツの木、初めて見ました。

ブドウ畑のいたるところに農産物が。斜⾯には果物の⽊、家禽や家畜を育てる⼩さな飼育場家。今回は時間が無くて動物たちに会えなくて残念…。
畑の隣に細く流れ出る地下⽔源があり、その地下⽔を⼤きな⽯造りの⽔槽でせき⽌めて畑の水撒きにも使⽤しているそうです。まさに自給自足。
小さい頃から自然に囲まれた農場で育ったベルナールは、ワイン造りにも早くから興味を持って、父のあとを継ぐ決意も早かったそうです。

小さい頃からビオディナミ。彼自身はそうは別に意識していなさそうで、彼の畑のように⻑年ビオでしっかりと耕された⼟地は、植物の種類もいろいろと豊かで、無駄な雑草はほとんど⽣えてこないそうです。畑がだんだんと整ってくるんですね…。ブドウの病気にしても毎日畑に出ていれば、その予兆に気づいてだいたい対処できるみたいです。
そして、「良い環境で育ったブドウさえあれば何も手を加える必要はない。」
メルロー、カベルネフラン、カベルネソービニヨン、セミヨンの 4 品種で、樹齢は 20〜30 年。


ブドウ畑から見たシャトー。
中央右寄りがシャトー、左の網で囲まれたところは貯水槽。


その反対側に広がる畑。

セミヨンの畑には野生のネギが自生する個所があるそうで、野生のネギは農薬で土壌が汚染されていない証拠なんですって。
冬から春先にかけてはこのネギが食卓で大活躍のようです。
このセミヨンからは2018年VT初リリースの甘口ワインが造られました。信じられない価格で!甘口のボルドーとしては、驚くほどコストパフォーマンスの高さ!
ぜひ、お試しください。
シャトー・ド・プラド ブラン・モワルー2018白甘口

やっぱり暑いので畑を後にセラーへ。
果樹に囲まれたセラー。中はひんやり。
季節労働者の宿泊所と併設されていました。

そして試飲。

左の白は先述した甘口。
プラドのロゼは初めて見ました。それもそのはず、地元消費用とのこと。そしておいしい。
地元用だけど2018年はたくさんできたから、あげてもいいよ、とベルナール。ほしい、ほしい!ととどろき勢。
日本に戻って、輸入元さんにお願いして、そして、日本に入荷する分すべていただきました!
3月初めころから発売予定です。
ラベルもオリジナルを用意中。
みなさん、今年の春は、このロゼを飲みながらお花見してください。
味わいは…、頼み込んだくらいです、言わずもがなです。お楽しみに。
赤は樽熟成が長いのと少し短めと2種。
プラドのワインはその味わいと価格が合っていないんじゃないかな、と思います。
自分にとってワインはデイリーな飲み物で、自分が高いと思うものを人に売ることはできない!とベルナール。
もっと価格をあげても絶対売れるのに儲け度外視。

ブドウそのものの美味しさがわかる、よりナチュラルなスタイルのワイン。手作りの味をリーズナブルに世に出す…ボルドーではとても珍しい生産者です。
今は次男さんと運営されているそうで、このスタイルがいつまでも続いてほしいなと思いました。

そして明日はナチュールの生産者とは言えど、いわゆる「シャトー」へ向かいます。

シャトー・ド・プラドのワイン

行ってきました⑦ デスクランブ

みっちみちのスケジュールだったロワールをあとに、ボルドーへ向かう朝。
出発までゆっくりできたので、楽しみにしていた散歩がてらのパン屋めぐりーーー!!でしたが。
この日はパン屋さん、どこも閉まっていました…。たしか水曜日。月曜に閉まっている美容室が多いのと同じ感じなのでしょうかね。
でも近くの公園でのんびりと、ぼけ~っといい時間を過ごしました。

ロワールのトゥールからボルドーまで約350キロ。
高速を降りてデスクランブ(サンテミリオンの近くにあります)に近づくにつれて景色はまたまたブドウ畑一面。
アンジュー、サンセール、プイィ・フュメの景色にも驚きましたが、それ以上。
ずーーーーーーーっとブドウ畑。
さすが2大産地。ずっと。畑。畑。
石垣があって門扉があって。さすがシャトー!

サンテミリオンに少し寄ってモノリス教会(巨大な一枚岩をくりぬいて造ったと言われています)を見て、お昼ご飯を食べ。お店からでたら、これから向かうデスクランブの先代、ジェラールに偶然会いました。
今回はお会いできないと思っていたので、ラッキーです。現地アテンドの方が一番テンション上がってました。

そしてまた一面ブドウ畑の中を走り、ボルドーの草分け的存在、デスクランブへ。
サンテミリオンから南に6km ほど南下した、ドルドーニュ川沿いにシャトーはあります。
道中、さんざん「シャトー」たるものを目にしてきた私たち。
デスクランブはシャトーといっても、メドックのあの豪勢な建物ではなく、ごく普通の住まい、ガレージでした。こんなTシャツ着てきちゃったけど…と心配していた私はホッとしました。笑

現当主は3代目のオリヴィエ。2015年からシャトーの全てを管理しています。
笑顔は見せてくれたけど、人見知りっぽい?かなという印象。

畑はブドウの樹の高さが高い!霜の害を避けるため、地面から実がなるところまではしっかり高さをとっているそうです。

あまりの暑さに畑はそこそこに醸造所内へ…。

オリヴィエの祖父ジャン=アルマンが、1954 年からビオ農法を提唱し続け⼈で、当時農薬等を使った近代農法が隆盛を極めていたボルドーの中でまさに異⾊の存在。
2代⽬となる父ジェラールがワイナリーを引継いだ1970 年代以降も、ビオはむしろ忌み嫌われる存在だったそうです。このころから、ジェラールの反バイオテクノロジーの姿勢を⽀持し、ワインを通じて仲が良くなった著名な漫画家が手掛ける⾵刺画をラベルに用いるようになります。その数は多いときでなんと30種類!ボルドーのお堅いイメージを茶化すかのような遊び⼼満載のエチケットばかりです。

このラベルはうちでも定番。
ワインが飲みたすぎて棺桶から出てきちゃう。

祖父の⼝癖であった「良いワインは良いブドウがあってこそ」という遺⾔を⼀番の信条に、父から息子のオリヴィエに引き継がれます。

父ジェラールの造るワインは、酸をしっかり残して、長期熟成にむくタイプ。若いうちは酸があるので飲みにくいのですが、その代わり熟成したときの味わいは官能的。

オリヴィエは、人一倍熟成中の「酸化」に敏感。むやみにタンクや樽を開けて試飲はしないそうです。というのも、オリヴィエの造るワインは酸がきれいに柔らかく残った割と早いうちから楽しめるタイプ。なので、リリースされる時の味わいを緻密に計算しているんだろうなと思いました。

醸造に使う機械もちらっと目に入りましたが、どれも独特な形。
普通なら2人で作業するところを1人でできるようにオリヴィエの手造りの機械が多いとの事でした。こんな機械なのもマシーンでの収穫も、全てワインの品質向上とリーズナブルな価格を両立させるため。年々オリヴィエのつくるワインが美味しくなっていますが、裏のこういう、私たちには見えない努力によってコストパフォーマンスの高いワインが産み出されていたんですね…。

帰り際に現地アテンドをして頂いている方が、車のキーがない!と騒いでいたのにはオリヴィエもすごく笑っていました。
そんな笑顔に見送られて次はカスティヨンのシャトー・ド・プラドへ。

デスクランブのワイン

山形へ ③ 酒井ワイナリー編

山形へ ① リンゴリらっぱ編はこちら
山形へ ② イエロー・マジック・ワイナリー編はこちら

ここからのレポートはつかちんこと塚本にバトンタッチです。

南陽市赤湯、イエローマジックワイナリーから車で5分ほど行くと「酒井ワイナリー」はあります。
先程とはガラリと変わって、歴史を感じる直売所の奥には、さらに歴史を重ねたであろうワイナリーがありました。

1892年(明治25年)にぶどう酒醸造業を始めた酒井家は現在、20代目(ワイナリーとしては5代目)の酒井一平さんが当主をつとめます。

酒井さんにワイナリー内を案内してもらうと、機材も道具もちょっと古めかしい感じ。
本来なら日本酒を搾るためのプレス機や、ブドウジュース造りに使っている機械も残っていて、
かい入れ棒はなんと50年は使っているという木製!(酒井さんよりも年上!)

「創業時のワイン造りの文化自体が無かったときは、杉の内側に漆を塗った桶でワインづくりをやってました。古樽が良いとはよく言われますが、特に木製の道具は使い込みがその蔵の個性につながると思っています。」

そう酒井さんが言うように、酒井ワイナリー自社畑のブドウを使ったキュヴェでは、その古い機材たちが使われています。プレス時間の設定も出来ないので、感覚で作業をするしかないのですが、それが人間のアバウトさ、人間味を表現できるのだそうです。

次は、明治7年にまだ酒井家が旅館もやっていた頃から使ってるという土蔵セラーへ。
そこに並んでいるのは樽と一升瓶!フルボトル(750ml)が日本に無いころはそのまま販売でしたし、その後も澱引きや貯蔵用で一升瓶を使っているのです。一升瓶だとタンクよりも澱との接触面が大きく、そこもワイナリーの個性になっているのかも?と酒井さんは分析します。

あの「まぜこぜワイン」は、一升瓶の底に残った澱を集めて、また澱引きをすることによって出来上がったワイン。いろんなキュヴェが混ざり合っているから「まぜこぜ」なんです。

「まぜこぜワインが人気になったのも、昔からやってきた蔵の歴史がうまく体現出来ていたから。
”デザインしたワイン”でなくて、結果的にまぜこぜワインで表現できた”よく分からないけど酒井ワイナリーや赤湯っぽいよね”という、技術を超えたところにあるものを造っていきたいです。」

「なんとなく」とか「っぽい」がどういうものかを拾っていくのが僕らの仕事でもあるのでしょうが、古い設備を使ったからこの味が出たという単純なものでも無いようで。。。

なんで自分が自然なワインが好きなのかを、もう一度考えたくなるような体験ができました。
一平さん、スタッフさん本当にありがとうございました!!

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山形へ②イエロー・マジック・ワイナリー編

山形へ ① リンゴリらっぱ編はこちら

さて、翌日はワイナリー3軒を巡ります。
朝、宿泊した天童市から南陽市赤湯へ移動。
赤湯は歴史の古い温泉街。
赤湯では、今年9月に生まれたばかりの『Yellow Magic Winery(以下YMW)』と
東北で最も古いワイナリーである『酒井ワイナリー』を訪ねます。

YMWと聞くとやっぱり思い出されるのは、YMO(Yellow Magic Orchestra)ですよね。
代表の岩谷さんご本人は、どこかグルービーというか体の中にリズムが鳴っていそうに感じる方です。

YMW自体は若いワイナリーですが、岩谷さんのワイン造り歴は28年。
もともとアパレルメーカーに就職。したはずが、
そのアパレルメーカーが立ち上げたワイナリー部門(滋賀のヒトミワイナリー)でぶどう栽培をし、
ワインメーカーとなって当時日本ワインではほとんど見ることのなかったにごりワインを誕生させた超本人であり、
その後も大阪のワイナリーで醸造を担ってこられた、という独特なキャリアの持ち主です。

そんな岩谷さんが自身のワイナリーを立ち上げる場所として選んだのが、
ぶどう、特にデラウエアの産地として歴史のある南陽市(赤湯)。
岩谷さんの畑は、米沢から吹いてくる風が流れ、空気のたまりがない。
その風のおかげでぶどうの病気も出にくいので、ビニールの傘さえつけておけば、
農薬も、ボルドー液*もまく必要がないのだそう。
“自然派”と意識しているというよりも、
使わなくていいのであれば使わない方がいいよね。というスタンス。

聞くと、このあたりは古くから農業の先駆的な土地柄だそう。
隣に位置する高畠町は、有機農業運動の発祥の地。
その考えに共感してiターンする人も多く、そういう人を愛情を込めて“タカハタ病”と呼ぶのだとか。
またヒトミワイナリー時代からつきあいのある南果連(なんかれん)という有機のぶどうをつくる団体もあって、ステージの高いワインをつくるためのぶどうが育つ土壌がしっかりそろっている。
こういった土地の気風も、岩谷さんがこの土地に呼ばれた理由なのでしょう。

醸造所で一つ一つのタンクの説明を聞いていると、
「これは搾ってそのままでほとんど何もしない。このタンクもそう、2日に1回くらい櫂入れをするくらいでほとんど触らない。ここでタンクを貸してる奴(ワイン生産)もびびってるけどね(笑)」と、岩谷さん独特の“放置プレイ”醸造の様子が明らかに。その放置っぷりは、様々な自然派の生産者と接してきたボス轟木も驚いている様子でした。

ワインを造ってきて28年、造り方はどんどん手抜きになってきている。
「白い透明なの(ワイン)は違うだろー! ヤミ酒ってこんなモンだよね(笑)。 僕は、余韻が長いような、食べものを噛んでいるような味にしたいんだよ。トップがあってストンと落ちるようなものは造りたくない。とにかくぶどうを信じた造りをしたい。そのためには小細工なんて必要ないでしょう?」

確かに岩谷さんを“自然派”と括るにはどこかしっくりこない。
川釣り用のつなぎを着て大量のぶどうの実の中に身を投じ、体を捻りながら搾るという岩谷さんのエピソードが頭をよぎります。自然派というよりももっと本能的で、もっとフィジカルで土着的な、別の呼び名がないものだろうか、とあの日から探しています。

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山形へ  ①リンゴリらっぱ編

こんばんは。
田中です。

先日11月の半ば、ボス(轟木)&つかちん(塚本)と山形に行ってきました。
山形は初訪問。飛行機が下降したところに広がる山々に雪帽子が見えて、到着前から「北に来た」(ダジャレではないです)のだと思い知らされます。今回は時間の都合もあって仙台空港に降り立ち、レンタカーで山形へ。

山形方面に向かっているとずっと遠くに見える高い山。福岡の盆地の風景とはまた違う山の景色です。ボスに聞くと「ここで高い山といえば、蔵王か“ちょうかいさん”じゃないかな」とのこと。それは山形と秋田の県境にある鳥海山でした。

山形正宗に向かうボスを天童市で降ろし、つかちんと私はさらに北上して新庄市を目指します。
この日第一のミッションは、当店で取り扱いのあるりんごジュースの生産者さん『リンゴリらっぱ』の佐藤春樹さんに会うことです。少し陽の陰り出した16時前、ほぼ予定通りにリンゴリらっぱに到着して、お話を聞くことができました。

リンゴリらっぱは、もともと佐藤さんの母方のお祖父さんが経営されていた『荒井りんごや』が前身です。佐藤さんは現在38歳。高校を卒業して会社員をしていたものの、なんだか違うな、と思い数年で退社。父方の実家の農業(伝承野菜農家 森の家)を手伝いはじめ、そこからは農業ひと筋。そして3年前には、母方の実家の家業である荒井りんごやも継ぐことに。お祖父さんがつくっていた生食用のりんごから切り替えて、環境に負担のかからない有機的なりんご栽培をしたい。そのために姿形、虫喰いなども気にならないジュース専用のりんご農家になろうと思い立ち、東京で仕事をしていた友人を誘っていざ、と動き出した約3ヶ月後にお祖父さんが他界。教えてもらいたいことが山盛りに残ったまま、りんご栽培素人の2人は置き去りにされました。そもそも果樹農家の少ない地域であり、生食用のりんご農家はいても、ジュース用のりんご栽培のことを教えてくれる人はほぼいません。冬の間の大切な作業である剪定ひとつをとっても、ここで切っていいのかな? どうなのかな? と木1本あたり3〜4時間をかけて文字通り手探りで切っていきます。芽吹く前までに、300〜400本を手入れをするというのは、一言で言うと「苦行」だそう。この寒い地域で、1年中作業のある果樹農家が少なく、冬は休めるお米農家さんが多いというのも頷けます。

佐藤さんのりんごの木を見せてもらうと、小さな実がたくさんなっています。摘果せず、小さな実をたくさんならすことで皮などの渋みを出すようにしているそう。生食用の倍くらいの実がついているので、もともと生食用だった木には負担の大きいなり方になっているので、これから少しずつ剪定によってコンパクトな枝ぶりを目指していくそう。その枝は横に伸ばすのではなく、上に伸ばしていく。地上で枝が上に伸びていると、土の中での根っこも下へ下へと伸びていっているという考え方だそうです。ワインのぶどうの木も、その土壌の様々な要素を得るために根っこをできるだけ下に下に伸ばすのがいいとされています。共通する考え方なのですね。

この小さな実の品種は、なんとふじ。普段食べているふじとは見た目も、そして味も違います。甘いだけじゃない、酸味と渋みもほどよくあって個人的にはとても好みの味です。現在栽培をして商品になっているのは、ふじ、さんさ、ほくと、紅玉、青りんご、の5種。それとは別に、シードル用品種をジーンバンクから取り寄せて、約60種類ほどテスト栽培しているそうです。実は佐藤さん、2年前からりんごのお酒、シードルもつくられているんです(委託醸造で)。シードルの話をする佐藤さんの言葉に熱がこもっているのを感じ、「お酒がお好きなんですね」と尋ねると、ニヤリ。やはり、とこちらもニヤリ。

「じいちゃんも家でりんごを自然発酵させたりんご酒をつくって飲んでました。自分で育てたりんごでお酒をつくるっていうのはいいよなあと。だからりんごでお酒をつくるっていうのはじいちゃんの夢でもあるんですよね」

将来的には自分たちで醸造までできるように、そしてそれをさらに蒸留してカルバドスなんかもつくってみたい。わくわくする未来構想を聞いて、田んぼのなかにぽつりとあるりんご畑を後にしました。