とどろき酒店から車で片道4時間…(@~@)
明治32年(1899年)創業、天草唯一の酒蔵「天草酒造」にお邪魔してきました。
出迎えてくれたのは四代目の平下豊さん。
天草酒造は芋焼酎蔵として創業したものの、昭和後期の減圧米焼酎ブームの影響で一時は、米・麦の焼酎蔵に。一度は途絶えてしまった芋焼酎「池の露」を四代目の平下豊さんが2006年に復活させました。
今回はその芋焼酎「池の露」の仕込み蔵を案内していただきました。
今年で20年目を迎える「池の露」ですが、20年前は手作りの芋焼酎を造りたくても原料の芋が天草島内では手に入りませんでした。
もともと海底が隆起して出来た天草は、平地があまりなく、切り開いた段々畑が多い地域。
当時はお米の方が単価がよく、米作りの技術も上がってきて、早期栽培も可能になってくると徐々に農家さんはお米の方にシフトしていき、20年前にいわゆる芋で生計を立ててる農家さんはゼロだったそうです。
そんな中、鹿児島県志布志市の農家さんとのご縁で、週に一度遠路はるばる750キロ x 6日分をトラックに積んで持って来てもらえるようなり、無事に芋焼酎「池の露」の仕込みを始めることができました。
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しかし、2020年から始まったコロナ禍と同時に、芋の基腐(もとぐされ)病も始まって、原料である芋(黄金千貫)を入手することがどうしても難しい状況に。
以前から自社でずっと芋の畑はやっていましたが、あくまで志布志から届く芋の補填用としてでした。
しかしこのコロナ禍・基腐病が転機となり、「じゃあ天草でやろう!」と天草島内での黄金千貫作りを本格的に始めることになりました。
*池の露の仕込蔵のすぐ裏手にある芋畑
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天草酒造がある新和町は広く、車で20分ほど行った山の中にも畑があるそう。
蔵のスタッフがそこへ毎日様子を見に行くことは難しいため、行政の人たちともうまく協力しています。地元に一軒だけの焼酎蔵ということもあり、親和町のある宮南(きゅうなん)地区の振興会の方々に協力していただき、地域に点在する畑での苗の植え付けや草取り、電気柵の管理、芋掘りなど、多くの地元の方々に助けて頂いているそうです。
その結果、今年からは黄金千貫と紅はるかの焼酎に関しては全量天草島内の農家さんの芋で造ることが出来るようになりました。
「地元のおじちゃんおばちゃん達めちゃくちゃ元気なんで、20人くらいのマンパワーでぶわーっとやれば、薬品なんて使わなくても自然農法でいけますよ。」と笑いながら話してくれました。
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と前置きが長くなりましたが、いよいよ蔵の中へ。
麹米になるお米は芋と同様に手洗いで洗米しています。
手探りの状態で始めはスタートして、いつの日か機械の方が良いと判断した時は導入しようと思っていたそうですが、機械の秒数だけじゃ分からない部分があり、原料は実際に手で触った方がその時の状態が分かるということで、20年前から変わらず同じスタンスで続けているそうです。
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また麹室も見せていただきましたが、20年前に作ったと設備とは思えないほどピカピカに保たれていました。
中には蒸米を置いて麹菌を繁殖させるための「床(とこ)」や、蒸した米を小分けにして入れて麹菌を繁殖させるために使われる「麹蓋」など。「麹蓋」は通常日本酒・焼酎蔵で使用されているものとは違い、底が板ではなく、網代(あじろ)編みのような形状になっており、抗菌のため柿渋が塗られています。他の蔵では見たことない、と豊さんも仰ってました。
基本的に芋焼酎を作るために考えられている蔵のため、寒さよりも暑さ対策に重点を置いており、これは温度をなんとか下げるための工夫だそう。ドラム式の製麹装置とは違い、手作り麹の場合はお米に含まれる水分発散も考えないといけないため、こちらの方が断然通気性がよく熱発散に向いているだろう、ということで使用しているそうです。
天井には、熊本酵母(協会9号酵母)を開発した故・野白金一氏が考案した「野白式天窓」と呼ばれる天窓も設置されていて、室の中の温度・湿度調節に使用されます。
油断するとカビが生えやすい環境のため、仕込み中は麹蓋に入っていた麹を甕に移した後の短い時間に徹底的に掃除するそうです。また「池の露」の仕込み蔵自体も、天草銘柄(麦・米焼酎)を造る蔵から少し離れていて、風通しの良い場所に建てられています。
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*ちなみに、仕込み中は麹室の温度管理のために仕込蔵の目の前にあるこの建物で寝泊まりしているそう。麹の温度が想定していたものとは違っていた場合にすぐ駆けつけられるように、とのことでしたがオーシャンビューの素晴らしい景色の部屋でした。笑
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床には、現会長である三代目が「芋焼酎復活の時のために」と保存していた創業当時の甕たちが埋まっています。ここで醪(もろみ)の発酵が行われます。
タンクだと蔵のオリジナルの風味はかなり作りづらいようで、甕で仕込むことでその甕ごとの特徴がついてくるそう。「クリーミーな感じ」とよく言われるそうですが、その天草酒造独特の香りが生まれるそうです。その天草酒造らしさを生み出してくれる甕仕込みはこれからも残していきたいと豊さんは考えています。
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蒸留機は、通常のステンレス製のものと、「SLOWLY」という銘柄で使用している兜釜式蒸留機(チンタラ蒸留ともいわれる昔ながらの蒸留方法)の二種類。
通常のものは一回の蒸留に3時間かかりますが、兜釜式蒸留はその倍の6時間を要するそう!!!
出来上がる量も兜釜式は通常の蒸留機に比べて半分くらいになってしまうそうですが、酒質が異なり美味しく仕上がるため、こちらも使用し続けています。
(蔵見学後、SLOWLY黄金千貫を実際に試飲させて頂きましたが、味わいはより濃厚で甘味もあり、アルコール度数は30度ありながらも、それを感じさせない口当たりの柔らかさがとても印象的でした!!!)
仕込み中、蒸留は午前中に早めに終わらせて他の作業も行いたいため、夜中1時半くらいに起きてから始めているとのことでした。
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天草酒造では、9月、10月、11月頃にだいたい100日間くらいかけて仕込みを行なっています。
仕込みの期間中はとにかく忙しく人手が足らないため、その時期ためにもう少し通年雇用で人数を増やしたいそうなんですが、現時点では残りの期間をどうするかが課題だそう。
そのためには焼酎に使用する芋や米に加えて、その他にも質の高い農作物を作ることで農業収入を得て、2021年に建てたカフェの運営がうまく連動すれば雇用が作りやすいのではと考えているそうです。
お洒落な外観のカフェ。天草酒造の焼酎がズラっとならんでおり、店内のカウンター・テーブルやテラスでのんびりと過ごすことができます。
カフェから見える景色。対岸には獅子島や長島が見渡せます。
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「天草酒造のショップを作りたいというかは、いろんな人がくるんでこう交流の場で出来ればなというのが、一番の思いですね。
最初の一発目ってやっぱこう説得力あるじゃないっすか。ここで飲んでもらったほうが、二杯目三杯目につながりやすい。なんで、安定的に気楽にこう人が集まれるような場所になると、もうそれが一番の宣伝になるというか。
もう天草の人たちは知ってるんで、島外から人が来た時に受け入れられるようになると、各々皆さん各所に持って帰ってもらえると思うんで。」
と豊さんは語ってくれました。
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ちなみに池の露のラベルはどこかの風景がモチーフになってるんですか?と聞いてみると、
「池の露のラベルを作ったひとはうちのじいさんすら知らないんですよね。
でも、ここで焼酎の仕込みをしながら思ったんですよ。これ、こっからの風景やんみたいな。実際朝日があっちからあがるんですよ、東海岸なんで。で、その辺がこう松林にみえないこともないっちゅうか。
じいちゃん曰くこの先が長島町があって島美人がある、その先が出水(いずみ)市なんですよ。直線距離でいけばもう何キロもないっちゅうか。で、昔は鶴もよく飛んできていたと。
これはあとから教わった雑学なんですけど、出水市に鶴の伝説の話があって、オス鶴が怪我してシベリアに飛び立てなかったと。で、一年間そのオス鶴が出水市で過ごして、次の年奥さんが迎えにきて二人で帰ってったところの絵らしい。上がメスで下がオス。」と教えて頂きました。
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実際に天草を訪れて、豊さんのお話を聞いたあとに頂いた「池の露」のソーダ割りはもう格別でした。
農業・焼酎・地域交流を連動させた持続可能なコミュニティづくりを目指し、手作りに拘りひたむきに焼酎造りと向き合う天草酒造。
天草の空気を感じながら、この場所で「池の露」を多くの人に楽しんでもらいたいと思える訪問になりました。
天草酒造のみなさん、お世話になりました!
次は泊まりがけで伺います!!!笑
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